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「一本化しない」問題の重大性を自覚する

2023年6月11日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

先日(2023年6月10日)の読売新聞の夕刊の「よみうり寸評」に日本人として非常に身につまされる記事がありました。

以下、記事を要約します。

「沖縄の本土復帰後、米国式の右側通行から日本式の左側通行に変更されるのに6年を要したのは、信号や標識を切り替える必要があったためだ。もはや一本化しようがないのが電気の周波数である。東日本は50ヘルツ、西日本は60ヘルツ。最初に導入した発電機の周波数が東西で違ったことが尾を引いている。東京で買った50ヘルツの電子レンジは大阪へ引っ越したら使えない。逆もしかり。この夏、特に東京電力管内で電力のひっ迫が懸念されるが、西日本から融通できる電力は限られるという。来年秋に健康保険証を廃止し、マイナンバーカードに統合する関連法が成立したが、利用者目線では相次ぐトラブルへの不安が先に立つ。急ぐ必要性をまるで感じない一本化もある。」

記事を読んで、この「一本化できない」問題は日本人の性格の悪いところを思いっきり象徴しているのだと思いました。

というのも、この記事自体が、多くの日本人が「短期的負担」と「長期的利益」の比較衡量を冷静にできないことと、日本のマスコミが物事の根幹理解をずらした状態で社会問題を批判をしがちであることの証拠だからです。

そのことについて議論する前に、「電気の周波数」について調べて、こちらのサイトにたどり着きましたのでその内容を以下、要約します。

「明治20年、日本で初めて火力発電による電気供給が行われた時にはその電気は直流だったが、明治22年には大阪電灯会社が交流配電による電力供給を開始。その2年後には東京電灯会社も交流配電を導入するようになった。しかし、交流の周波数は50Hz、60Hz、125Hz、133Hzなど、地域や発電所によってまちまちだった。とはいえ、電灯をつける程度の用途では大したトラブルもなく済んでいたが、工場など動力用の機械に使用するとなると交流モーターは周波数の違いが機械の回転速度に現れてしまう。おりしも、明治20年代の後半は日本の産業の発展期。電力会社も周波数の統一を考えざるを得なくなった。そこで明治28年、東京電灯はドイツから50Hzの交流発電機を購入。一方、大阪電灯はアメリカから60Hzの発電機を購入する。以後、東日本は50Hz、西日本一帯は60Hzという現在の周波数分布となった。」

続いて、東西の「周波数の一本化」による問題解決が現時点において現実的かどうかという議論についても調べましたらこちらのページにたどり着きましたので要約します。

「日本の電機の周波数を統一するには、東西どちらか片方の千機以上の発電所設備を同タイミングで一斉に全て変更しなければならない。需要設備側で周波数に依存している設備も発電所の交換と同じタイミングで処置や交換が必要だが、数十万人の技術者と全ての発電機を交換する新発電機を用意できたとしても無停電では不可能。それを実行するには日本の半分が数日間の停電を許容する必要がある。金銭上の問題も確かに莫大だが、それよりも、広範囲で大規模な長時間停電が許容できず、技術的には何ら問題が無くても現実には統一できない。電力が今ほど普及していなかった時代なら統一も可能だったが、今となっては一刻も止まっては困る電気を止めないまま周波数を変更するのは、誰がどう知恵を絞っても方法はない。」

以上、二つの情報源から次のことが分かります。

明治20年代の時点で日本は、「周波数の一本化」の必要性は理解していたにもかかわらず、日本全体ではなく、東西それぞれを管轄する会社の、しかも「発電機の規格による制約」というまったくのご都合主義的な判断で東西で分断して統合してしまった。

しかも、会社という組織内では実際に「短期的負担」と「長期的利益」の比較衡量を冷静に行うことができていたのに、国家という範囲ではそれを行うことができていなかったということ。

また、その時が唯一のタイミングだと認識しながらも、国家レベルでの当事者意識がなかったことからみすみすその判断を逃してしまったということです。

それに続けて、「マイナンバーカード」の問題ですが、よみうり寸評の記事は、

「来年秋に健康保険証を廃止し、マイナンバーカードに統合する関連法が成立したが、利用者目線では相次ぐトラブルへの不安が先に立つ。急ぐ必要性をまるで感じない一本化もある。」

とまとめていますが、この主張は問題の根本部分を明らかに外していると私は思います。

というのも、日本の高齢化社会への移行は世界最速のスピードで進んでおり、それによってあらゆる行政サービスの持続可能性が失われつつあります。

それなのにもかかわらず、他国と比べて圧倒的に非効率であることを放置していることが、今回の新型コロナ補助金等の支払いに関する混乱から明らかになりました。

しかも、そのような非効率性が明らかになった後も、二度三度と莫大な事務処理コストを負担しながらそのままの体制で給付を行うという体たらくでした。

その意味で日本の健康保険制度とその他の個人情報を統合するというマイナンバーカードの推進は絶対的に必要なことなのにもかかわらずです。

このことは、日本に比べて圧倒的に持続可能な社会状況であるアメリカでさえ、「社会保障番号制度」によって行政サービスの効率化をずっと以前から実現させているのとあまりに対照的で、怒りさえ覚えました。

こちらについても調べましたのでこちらのサイトから以下要約します。

「アメリカでは出生と同時に社会保障番号発行の手続きが行われる。この社会保障番号がアメリカに深く根付いた理由の一つとして、社会保障番号だけで本人認証として成立してしまったということが大きい。例えば、アメリカでは子どもの頃から社会保障番号が利用されている。様々な場面で社会保障番号を使うが他の証明書を見せることはない。ただ口頭で社会保障番号を伝えることのみで本人認証として成立する。銀行口座の開設や、クレジットカードの発行などで、社会保障番号を口頭で伝えるのみで本人認証できる。その一方、アメリカでは社会保障番号を用いたなりすまし被害が横行し、また、近年では官公庁や大手企業、銀行などへのハッキング等により、社会保障番号が大量に流出する事件が発生するという大きな問題があるのも事実だ。」

当然、アメリカでもこの記事の最後にあるように社会保障番号の流出という問題は起こっているのは事実ですが、このことは社会の持続可能性を支えるこの制度自体を批判する理由にはなりえません。

ここで必要なことは、そのことをもって制度自体を批判するのではなく、このような技術的な問題が起こらないように問題解決にまい進することです。

一方、日本では読売新聞という一大メディアでさえも、「相次ぐトラブルへの不安が先に立つ。急ぐ必要性をまるで感じない一本化もある。」として、本当に必要な社会の持続性に関する責任を追及することをせず、ポイントのズレた個別の問題の指摘に終始してしまっています。

たとえ、今のマイナンバーカードの運用が計画通りに行ったとしても、アメリカの「社会保障番号制度」とは比べ物にならないくらいに非効率なものです。

それにも拘らず、その計画すら実現できないのであれば、読売新聞をはじめとする日本のメディア、そして我々日本国民は、それよりもずっと重いはずの「社会の持続性に関する責任」についてどのように向き合おうというのでしょうか。

 

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