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かつての大塚家具にあった知恵とは

2021年1月25日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

前回の「ワイズカンパニー」の記事内で「知識」と「知恵」の違いがよく分かる典型例として、大塚家具の父と娘の戦いを出しました。

ただ、その分かりやすい事例の中で、父がその経験の中で見いだせて、娘が表面的な経営知識のみでは見いだせなかった「知恵」の内容とはどんなものなのだろうかという疑問が湧いてきました。

今回は、これまた非常に分かりやすい解説記事をネット上で見つけましたのでそちらをご紹介します。

もともと、親子の意見の対立の根本は、父親が作り出した大塚家具の高級路線を象徴する「会員制」という従業員が顧客にぴったりとついて丁寧な接客をする仕組みの維持か、それを廃止して顧客が自由に店内を見てもらえるような中価格帯への変更かという議論でした。

実際に、ニトリに代表されるような低価格路線をひた走る大規模家具店の台頭で年々大塚家具の業績は「少しずつ」下がってきていました。

それに対する対処として、父は旧体制の維持、娘はその打破を掲げたということです。

その結果は記事によると以下の通りです。

「結局、久美子氏が目指したのが、『ニトリよりは高いが、これまでの大塚家具よりは安い』という非常に中途半端なポジションであった。このような『真ん中です』のような立ち位置のビジネスで成功することはほとんどない。消費財を扱うビジネスにおいて、顧客に感じさせるバリューのポジションは、原則、『一番安くて、まあまあ良い』か『まあまあの値段だが、一番良い』の2種類しかないのである。これまで、大塚家具は、汎用家具のマーケットの中で『一番良い』位置にいた。そしてニトリが『一番安い』のポジションを取った。その状況の中で大塚家具が勝手に『安い』側に降り、『一番良いは誰かどうぞやってください』としてしまったわけである。しかし、『一番安い』という部分では圧倒的にニトリの方が『安い家具を作って売る』という部分で合理化されているため、同じ戦略で戦ったところで、家具を安く作る能力においては全く勝ち目がなかったのである。」

たしかに、時代の趨勢として「家具」全体の市場を見た時、今まで相手にしてなかった「一番安い」勢力が大きなシェアをとるようになってきた中で、自分の「一番良い」のポジションの存在感が少しずつ小さくなってきていたのは事実でしょう。

ですが、この時にすべきだったのは、自分の領分ではない方に飛び込むことではなく、自分の領分の縮まり方が自分自身の存在をゼロにしてしまうほどのものなのかどうか、つまり自分が満足させられる顧客のボリュームがどのくらいの規模にまで縮小してしまうのかを見極めることでした。

この記事では、そのシュリンクはゼロにはならず、ある一定の規模を維持するという指摘をしています。

その上で、以下のようにかなり生々しい表現でその顧客たちの欲するものを形容しています。

「高級家具や保険などの高額商品を売るときに、調子の良い営業が出てきて都合の良いことを言い、最終的に『この人良い人だったから』など、よくわからない理由で買ってしまうということにつながるわけだ。実はこれらは、『孫ビジネス』なのである。仮に祖父母のところに可愛い孫が全然来ないとする。そこに孫くらいの年齢の兄ちゃんが来て、『おばあちゃん、なんか困っていることないですか?』などと言いながら、しばらくすると、『ところでこの土地なんですけど~』といって商品を売る。ものすごく乱暴な言い方をするとすれば、このような高齢者の資産を狙うビジネスは、家具や金融商品を売っているのではなく、『孫』を売っているのである。この『孫と話をしたい』という真のニーズを理解せずに『対面証券は手数料が高くて顧客に損をさせている』とか言うのは、100%間違っている。こういったことを理解せずに金融商品の手数料が高すぎる、と言う人がいるが、そんなこと言うのであれば、本物の孫が行ってあげるのが一番良いのである。リアルの孫がサボっているから、孫の代わりが出てきて、高齢者からお金を巻き上げていくのだ。」

もちろん、今までの大塚家具のセールスをこの記事の表現にそのまま当てはめることは、大塚家具の名誉を著しく傷つけることになると思いますし、フェアではないと思います。

ですが、「高いものを生身の人間の説明を受けて買いたい」という欲求に寄り添うことの意味合いについては決して完全否定されるべきものではないように思いました。(顧客が最終的に満足している限りはという条件が付きますが)

もう一度繰り返しますが、そのあたりのところを割り引いて読んでみてほしいと思います。人間の欲求の本質というものが、この極端な表現によってだからこそ、滲み出されていることも事実のように感じるからです。

少なくとも、父の方は経験上、この「高いものを生身の人間の説明を受けて買いたい」という欲求に寄り添うビジネスを堅持することが世の中に対する大塚家具という企業の価値だと判断されたように思うのです。

だから、娘の大塚家具は創業家の手から離れ、父の匠大塚はいまだ手を離れておらず、顧客に価値を提供し続けられています。

これはやはり「人間」に対する洞察、すなわち「経験」によってのみ見いだせるのであって、頭だけではどうしても難しいのだなと思います。

ここが、経営はサイエンス(科学)ではなくアート(超論理)といわれる所以なのかもしれません。

 

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