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感染対策と人権とグローバル化

2020年6月13日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

少し前に、「コンテイジョン」というウィルスをテーマにした映画をご紹介しましたが、これに続けて先日、ウィルス映画第二弾として2013年公開の「ワールド・ウォーZ」というブラッド・ピット主演の映画を改めて見直してみましたのでご紹介します。

ざっくりとしたあらすじは次のようなものです。

「全世界で『謎のウイルス』に感染した人間は狂暴なゾンビと化してしまう。感染者は爆発的に増加し続け、世界滅亡寸前にまで陥っていた。元国連捜査官として世界各国を飛び回ったジェリーに事態を収束させるべく協力を求められる。怯える家族のそばにいたいという思いと、世界を救わなければならないという使命の狭間で葛藤するが、世界を救うべくその解決策を見出すため最前線へと向かう決断をする。」

ちなみにタイトルにある「Z」はゾンビのZだと思われますが、このゾンビという言葉の由来を調べてみましたら、以下のような説明を見つけました。

「ゾンビは、元はアフリカのコンゴで信仰されている神『ンザンビ(Nzambi)』に由来する。『不思議な力を持つもの』はンザンビと呼ばれており、その対象は人や動物、物などにも及ぶ。これがコンゴ出身の黒人奴隷によってアメリカ大陸に伝わる過程で『ゾンビ』へ変わっていった。」

2013年の公開当時に見た時には、単なる「ゾンビ映画」としてしか受け取ることができず、ブラッド・ピットの使い方としては非常にもったいない映画だなと思った記憶があります。

しかしながら、このコロナ禍の真っただ中で改めてこの映画を観てみると、まったく変った見方ができることを発見しました。

それは、この映画の中での(あくまでもフィクション)北朝鮮のウィルス対策とイスラエルのウィルス対策の二つに対する見方です。

前者は「人権」、そして後者は「グローバリズム」への挑戦という視点から現在のコロナ禍における世界の対応に対してかなり重要な警告になっているように思えました。

まずは、北朝鮮の対応から見てみます。

その対応策は、なんと全人口2300万人の歯を抜いてしまうこと。国の政策として国民全員の歯を抜いてしまえば、それ以上の拡大を防ぐという意味では非常に効果的な対策です。

しかし、この対処法は、国民の人権を大きく犠牲にせざるを得ないもので、初めてこの映画を観た時は、映画の中での荒唐無稽な話に過ぎないと思っていましたが、今の世界を見てみると、「感染防止」と「人権」とのバランスという視点からはあながちそうとも言い切れないように思えます。

例えば、家族が感染した後に亡くなっても入院時から一度も面会することができずに荼毘にふされ、お骨になってはじめて対面しなければならないなどということはそれまでの常識からすれば「人権侵害」と認識する人も少なくないはずですが、実際に「感染対策」の名のもとに日本でも行われました。

続いて、イスラエルの対応です。

その対策は、巨大な「壁」での防御。しかしながら、この方法では外壁の周りにいたゾンビたちが、壁の中の人間たちの発する音に反応して一か所に密集し、ゾンビがゾンビの背中に飛び乗り、またその上に乗って、壁を乗り越え内部に侵入したことによって、結局は壊滅してしまいました。

この壁は、イスラエルがパレスチナの自爆テロを防止するためという名目の下、実際にパレスチナ入植地を恒久的にわがものにすることを目的として作られた悪名高き「イスラエル西岸地区の分離壁」だと思いますが、2013年当時はこの「鎖国」のような方法をグローバル社会にそぐわないと皮肉的に描いていたと思われます。

しかし、その後、アメリカの大統領選でトランプが「壁」を建設を公約に掲げて当選を果たし、大統領就任後も、アメリカではグローバル化にブレーキをかけるいくつもの政策が展開され、世界はその皮肉が皮肉ではなくなる方向に進んできました。

このように世界が混乱し始めていた矢先に、コロナウィルスの大流行が起こり、現在世界中が「鎖国」状態にあります。

ちなみに、この映画の中でのイスラエルの結末は、次のように描かれています。

「価値観の合う人間同士で、ほかの価値観との間には壁を作って生きようとしていたことから一時的にはウィルスに対して効果を発したが、閉じた世界で一つの価値観を信じて生きる集団は一度壁が壊され、ウィルスが侵入してしまうと一気に壊滅してしまった。」

感染拡大初期の世界の対応であった「封じ込め」作戦がどの国もうまくいかずにパンデミックを引き起こしたことは、まるでこの映画の中のイスラエルを見ているようです。

この映画をこのタイミングで見直した結果、やはり「感染対策」と「人権」と「グローバル化」は絶妙なバランスによって鼎立させなければならないものだと考えさせられる、実は非常に深い映画だったのだと改めて捉えなおすに至りました。

 

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