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戦略の本質

2022年8月3日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

このブログではすでに「失敗の本質」および「失敗の本質~戦場のリーダーシップ編~」というシリーズ二作をご紹介しました。

この二作は前者が「組織」後者が「リーダー個人」という違いはあれども、「日本軍の失敗を捉え直し、これを教訓あるいは反面教師として活用すること」を狙いとしているものでした。

それに対して今回ご紹介するシリーズ第三弾の「戦略の本質」は、日本軍とは逆に、「なぜ彼らは勝利することができたのか」、すなわち「成功の本質」を正面から取り上げようとしたものです。

戦いにおいての「成功」というのは、基本的には数が多い方が可能性は当然高くなるわけであって、そのケースを選択する際には、圧倒的に不利な状況での「成功」という意味で「逆転勝利」のケースを取り上げる必要があります。

その意味で日本軍に限って言えば、日露戦争を最後にそのようなケースは存在せず、残念ながら本書で取り上げられているケースのすべては外国産となっています。

まず本書では、具体的なケースを見る前に「戦略とは何か」という根本的なところを徹底して確認しているところが印象的でした。

近代戦略論は1830年代、「戦争概論」を著わしたスイス出身のフランス軍人ジョミニと「戦争論」を著わしたプロイセン王国の軍人クラウゼヴィッツの活躍により確立したと言われます。

ただ、この二人の「戦略」に関しては以下のように大きな違いがあります。

ジョミニは「戦争概論」の中で「戦いの基本原則は、機動によって軍の主力を交戦地域の決戦を企図する地点に集中し、その優勢な集中兵力によって敵の脆弱なあるいは重要な部分を攻撃すること」としている一方で、クラウゼヴィッツは「戦争論」の中で「戦争においては机上の計画では到底考えられないような無数の小さな事情のために一切が最初の目標を下回り、所定の目標のずっと手前までしか達しないのが通例であるため、戦争の本質は敵対する意思の相互作用だ」としている。

つまり、ジョミニは戦略というものを「静的」なものとしてとらえ計画に力点を置いているのに対して、クラウゼヴィッツは「動的」なものとしてとらえ「摩擦」の存在を前提として計画にとらわれることなく実行に重きを置いていると言えます。

その後、人類が様々な戦争体験を経ることで、ジョミニは忘れ去られ、クラウゼヴィッツは逆に戦略論の神様的な存在として扱われています。

それも、前二作で見た日本軍の「失敗の本質」を思い出せば、頷くしかない真理のように思えます。

また、本作のケースでも「摩擦」の存在を前提として計画よりも実行に重きを置くことの重要性を確認させられます。

ただ、毛沢東のケースの最後では、「毛沢東の戦いは国民政府軍のみならず、共産党内部における党中央の机上の理論化(教条主義)に対する戦いでもあった。しかしながら、毛沢東の方法論は、同時に極端に走った場合には『反知識主義』に陥る危険性を持つものであろう。壮大な愚行とも言われたのちの文化大革命や人民解放軍の近代化の遅れといった現象も、この方法論が極端に自走していった例なのかもしれない。」とあり、全てはバランスであることも忘れてはならないということでしょう。