日本人と英語

英語の音と日本語の音の顔

2021年1月3日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「理想のリスニング」からテーマをいただいて書いていますが、第四回目のテーマは、「英語の音と日本語の音の違い」です。

前回は、「日本人の音に対する感度」ということで「音の種類」すなわち量について見たわけですが、今回は「音の性質」すなわち質についてということになります。

このことについては、第一回目の記事で「言語におけるストレスアクセントの有無」ということで一度触れてはいますが、今回はそのことについて具体的にフォーカスしてみたいと思います。

繰り返しになりますが、英語はその特徴が「ストレス・アクセント」にあると言っていいくらいに、単語の単位だけでなく、文章の単位にまでもはっきり強弱をつける言語であり、対する日本語は「上り」と「下り」の抑揚をつけるのが特徴の言語です。

そのことを前提にリスニングにおける重要性をとらえようと著者は以下のような視点を提示してくれています。

「英語の音をとらえようとすれば、このストレス・アクセントの運動感覚になれることが大事です。ところが、日本語的な音に慣れた私たちの耳は、英語の音を拾う場合にも日本語的な耳の澄まし方をしてしまいます。結果、肩に力が入る割に、肝心の部分は聞き取れないということになりやすい。典型的な『野ウサギをとっ捕まえてやる!』的なリスニングです。」

英検のリスニングの時間なんて、受験会場中が「野ウサギをとっ捕まえてやる!」といった殺気に包まれますから。(笑)

この指摘をいただいただけでも、こちらの弱点を全くそのままあぶりだされたような、「恥ずかしい」を通り越して「気持ちいいくらいの」分析力だと脱帽してしまいました。

その上で著者は、英語の音と日本語の音のそれぞれの「顔」を次のように描写してくださっています。

まずは、英語の音の「顔」です。

「このように英語では強く発音される部分と弱い部分とがほぼ交互に現れることで音が作られ、意味が生み出されます。簡単に言えば、英語の音が耳に引っかかってくるのは、強く聞こえる音と弱く聞こえる音の『差』のおかげです。この『差』を聞かなければ、英語の音を聞いたとは言えません。この図はそうした事情を山のイメージで示しています。日本語の音に慣れた私たちは、言葉の音を強弱を通じてとらえるというやり方を知らないために全部聞こうとしてしまうのですが、英語の音はそもそも全部聞かれるように発音されていません。私たちは弱く発音される音まで必死に追いかける必要はない。まずは山をとらえる。そうすると自然とそのすそ野に広がる谷間や盆地も耳に入ってくるという仕組みになっています。」

「この図からも分かるように、私たちの耳がとらえなければならないのは矢印で示した頂上のところです。こうしてみると、情報量はそれほど大きくないのが分かるでしょう。ところが英語のスピードについていけないと感じる人はこの山と谷の構造を身に着けていないため、相手のしゃべる言葉を山と谷とを含めてすべて音として追いかけます。そして本質的な部分を取り逃がすのです。」

続いて、日本語の音の「顔」です。

「日本語では音の強弱ではなく、高低を通じて音に形を与えます。例えば箸と橋とか。詩と死といった同音に聞こえる語も、『は⤵し』『は⤴し』という風にその高低の差を通じて区別します。これを図で示すと上の図のようになります。つまり、『上がり』か『下り』かを聞くように私たちの耳は訓練されているのです。だから、坂の様子なら極めて効率的にとらえられる。端から端まで聞かなくても、坂の一部を聞いただけで坂の行方が分かる。英語でも疑問文などでは『上がり』や『下り』の抑揚が表現されることがありますが、そこは日本語話者でも割ととらえやすいはずです。」

このことは、日本語を話す外国人を観察するとよく分かると思います。

彼らは、私たち日本人がこの「高低」の影響を排除できないのと同様、自分たちの母語である英語の「強弱」の影響を排除することができないために、「コンニチハ」のうちの特定の音、例えば「コ」や「二」をどうしても強く言ってしまうのです。

この影響を排除するためにはやはり、まずはこの音の質の違いをしっかり認識した上で、英語の山と谷の「リズム」に自らをさらすしかありません。

英語のリスニングにはまずこの視点が何よりも重要だということが分かりました。

まさに「体系的」な視点で学習対象にあたるというのはこういうことかということを見せつけられた気がします。

 

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