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日本の教育を変えるために必要なこと

2023年8月14日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

前回の「国際バカロレア教育について」の記事にて、本書によるこの教育についての詳細説明と、IB教育を受ける私の娘の課題を手伝った経験から、「(IB教育は、)日本の詰め込み教育に比べれば『仕組み』として圧倒的に差をつけられるものだと感じています。」という感想を述べました。

ただ、本書を最後まで読むまでは、このような感想を持ちつつも、一方で、自身の受験経験から「十代という人生における貴重な時期に、他のことを犠牲にして一つのことに取り組む経験をし、その結果、相当の知識を得た人は、それらを経験していない人と比べてずっと大きなアドバンテージがある」という「思い」を持っていたのも確かです。

そして、私のみならず、受験を経験した多くの人々は、本書によって突きつけられた「IB教育の必要性」に程度の差こそあれ理解をしめしつつも、同時にこの「思い」を捨てきれない「アンビバレントな感情」を持ったのではないでしょうか。

実は、本書の最後には多くの受験経験者が持つこの「アンビバレントな感情」から決別を迫る著者の切実なるメッセージが書かれていました。

以下、そのメッセージを要約引用します。

「受験勉強が役に立っているという人間がたくさんいます。特に東大出身者には多いと思います。私は、大学時代に自分同様、いわゆる受験エリートの友人とヨーロッパを観光をしました。次々に訪れる名所などはすべて受験勉強で覚えているので、歴史の知識などはおそらく現地のガイドよりも豊富に持っていたため、『やっぱり受験勉強しておいてよかったな。』と二人で納得しあったものです。しかし、同時に『あの苦しい受験勉強の結果がこれか。でもそんなもの、旅行前にガイドブックで読めば済むことだ。』と心の中でむなしくなりました。また、ある時財務省の友人に『微分積分なんて、社会で何の役にも立たたないな』と言ったとき、こう反論されました。『いや、財務省の仕事をやっている時には、結構役に立つよ』。しかし、実際にはそうではないでしょう。彼がそういうのは、どこかで受験勉強のエクスキューズをしなければならないからだと思います。受験勉強が無駄だったと言えば、それは自己否定になってしまう、彼はあの貴重な十代をささげた受験勉強が無駄だったとは口が裂けても言えないのです。その気持ちは私自身もよく理解できます。それでも私は教育者である限り、自己否定しなければなりません。いい教育をするためには、自分の歩んできた道を否定しなければならないこともあります。当然ですが、どの教育にも長所と短所があります。IB教育を選択できる環境というのは素晴らしいことです。そして、東京大学を目指して頑張ることもいいと思います。どちらにしても、目標に突き進んでいく努力は大切なことです。しかし、本質はそのいずれもが誰にとっての正解ではないということです。もっともっと幅広い選択肢が日本の教育には必要です。どの道を歩みたいのか。どんな教育を受けたいのか、本来それは子供自身が選択することです。(一部加筆修正)」

著者のメッセージを読んで私は、日本の教育の変革を阻んているのは、頭では変革が必要だと分かっている私たち大人のこの「アンビバレントな感情」なのではないかと感じました。

私たちは、自分が経験し積み上げてきたものの価値が減価しているという証拠が突きつけられたときに必ず現れるこの「アンビバレントな感情」をコントロールする勇気を持たなければなりません。

そして、次の世代の人たちに、「新しい価値」と「従来の価値」をできるだけ公平に提示してあげて、彼らに自分にとってベストな選択をさせてあげる必要があります。

日本の教育を変えるために必要なことは、○○から××の仕組みに変えるという行為ではありません。よもや、すべての日本人が受験勉強をやめて、IB教育にシフトすべきだなどと考えるべきではないでしょう。

もしそのようなことをしてしまったら、今後世の中の状況が変わった時に、再度「アンビバレントな感情」をコントロールすることができなくなってしまうのは明白です。

そして、「IB教育」という名の唯一正解を求める教育が出来上がってしまうことでしょう。それでは「仏作って魂入れず」です。

どの道を歩みたいのか、どんな教育を受けたいのか、それを子供たちに幅広く選択することができるような仕組みを作るには、まずは大人のメンタリティを変え、エクスキューズせずに課題に対峙することが大前提となります。

 

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