代表ブログ

ChatGPTと教育

2023年4月12日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

先日(2023年3月23日)に「ChatGPTは僕たちを殺すのか」という記事を書いて、これが「知的作業の大部分を機械化する『新第四次産業革命』ともいうべき人類全体の富の量を加速度的に増加させる大きな出来事」であるということを確認しましたが、早速というべきか、今週早々(2023年4月9日)の読売新聞で、東京大学や上智大学などが「ChatGPTに対する制限」を導入する意向であることが報じられていました。

前回の記事で私は著者の主張を受け、

「今まで生活のために『思考』しなければならなかった状態から、『思考』自体を余暇としての快楽にするためにこのテクノロジーを採用する選択肢を持つことができるようになるのだと考えたらどうでしょう。そうすれば、今の私たちがかつての『ラッダイト運動』を笑い飛ばせるように、『99%の凡人と1%の天才の世の中』を肯定できるようになるかもしれません。」

という感想を書いたのですが、この読売の記事を読む限り、日本の大学においてはそのようには見ていないようです。

そこで、この「ChatGPTと教育」というテーマでもう少し踏み込んで考えてみたいと思い、ニュースピックスの「ChatGPTは教育の敵か、味方か」という討論番組を見ることにしました。

パネリストは、宮田裕章(慶応義塾大学医学部 教授)、大柴行人(Robust Intelligence 共同創業者)、中室牧子 (教育経済学者/慶應義塾大学総合政策学部 教授)、佐藤亮子(子ども4人を全員東大理Ⅲに合格させたスーパーママ)、そしてChatGPT自身というこのテーマに関してはこれ以上ない布陣で、その内容も非常に濃い有意義なものでした。

議論の流れとしては、佐藤ママが18歳までは「敵」として、自ら考える力をつけさせるために段階的に制限(例えば12歳までは完全排除、中高生で部分活用、大学生で完全開放など)をかけるべきとするのに対し、それ以外の全員がビジネス社会がこれを前提として進んでいく以上、制限をかけたくてもかからないため、「味方」に付けざるを得ないし、それを前提とした教育に変わっていくしかないというものでした。

実際に宮田・中室両氏が所属する慶應義塾大学では「制限」に関する議論は全くないとされていないとのこと。

私個人としては「子供にスマホは持たせない」主義を貫いてきましたので、佐藤ママの考え方、特に「12歳までは完全排除」には大賛成というスタンスを堅持しながらも、その他全員の「それを前提とした教育に変わっていくしかない」という考え方に理解を示す形で番組を見終えました。

それでは、変わっていくべきとされる「それを前提とした教育」とは何を伸ばす教育なのかを宮田・中室両氏とChatGPT自身の三者の主張から見てみたいと思います。

まず、宮田・中室両氏が具体的な議論に入る前に冒頭の「大学によるGPT利用制限」に対して次のような辛辣な見解を披露されました。

「GPTが作成できる範囲のもので評価をせざるを得ないような教育は何の意味も持たない」

すなわち、これらの大学の意向の表明は、大学がこれからの教育に対して背を向けたということの証だという主張であり、この点について教育へのGPTの導入について半分マイナスな感情を抱えていた私も完全に賛同せざるを得ませんでした。

その前提で、以下具体的にみていきます。

◆宮田教授「問いを立てる力と共創力」

◆中室教授「誠実さと勤勉さ」

◆ChatGPT自身(生成された文章のママ)

「AIと共存するためには、柔軟な思考力、クリエイティビティ、問題解決能力、コミュニケーション力、そしてAIの基本的な知識や使い方が重要です。また終身学習の意識も必要です。」

まず、宮田氏は、ChatGPTはあらゆる問いにかなりのレベルで答えてくれることは明らかであるが、「問い」そのものを立てる能力は人間に残されている。そしてその問いによってChatGPTから引き出した答えとともに他者を巻き込むことで新しい「ものごと」を作り出す力を伸ばしていくのが「それを前提とした教育」だと言っています。

これはその通りだろうと誰もが納得するだろうと思われます。

そして、中室氏の「誠実さと勤勉さ」というのはこれだけ見ると非常に分かりにくいというか、むしろ時代を逆行しているようにも感じられそうですが、実はこのことをChatGPT自身が「終身学習の意識」という言葉で非常に分かりやすくまとめてくれていると思います。

つまりはこの三者が言っているのは、「大学を出たら学びは終了」という今までの「学歴主義」から、人間だけでなくGPTも含めたあらゆる他者を巻き込みながら問題解決する姿勢、すなわち「終身学習」が当たり前の形に教育が変わっていく必要があるということです。

彼らの議論を目にして「これからの教育の在り方」の輪郭がおぼろげながら見えてきたような気がします。

 

◆この記事をチェックした方はこれらの記事もチェックしています◆