日本人と英語

「四技能」ならぬ「七技能」

2021年1月31日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「迷える英語好きたちへ」からテーマをいただいて書いますが、第二回目のテーマは「(コミュニケーションにおける)七技能」です。

前回の記事では、「四技能」というのが民間試験導入を進める側の「錦の御旗」として機能して誰も否定することができないようにしてしまったという指摘をしました。

それだけ日本では強力な力を持った「四技能」ですが、実は世界的にはこのコンセプトはもう古く、四技能の根拠を作り出したCFERは、「伝統的な四技能はコミュニケーションの複雑な現実をとらえるには不十分である」として新しく「七技能」を提唱しています。

具体的には、① reception 受容(聞くこと・読むこと) ② production 産出(話すこと・書くこと) ③ interaction やりとり(話すこと・書くこと) ④ mediation 仲介 です。

つまり、受容技能として「聞く」「読む」を入れ、産出技能として「話す」「書く」が入っているところまでは「四技能」ですが、次に相互行為として「話すやりとり」「書くやりとり」の二技能に「仲介」を加えて七つの技能にしたものです。

四技能から七技能に進化した中でのポイントは「仲介」にあると思います。

この「仲介」についてCFERは以下のように説明しています。

「意味を構築し伝えるための橋をかけようとする。それを一つの言語の中で行うこともあれば、別の言語との間で行うこともある。」

この説明から分かることは、「仲介」は外国語の学習に関する技能にとどまらず、母語話者同士でも当然にして必要とされる技能だということです。

そうなってくると、「四技能」を進化させたものが「七技能」ということならば、母語でもなかなか達成できるものではない技能を含むわけであるため、日本人にとっては外国語である英語の学習の目標としてこれを定めることには初めから無理があるということを理解すべきだと思うのです。

すなわち、前回の記事で言ったように、本来あるべき外国語学習の順序を外さない限りにおいて、現実的な目標を再設定すべきでしょう。

そして、日本の英語学習者が「四技能」(ないしは七技能)という呪文をおまじないのように唱えるのではなく、自らが主体的にあるべき順序を踏む中でどこまで到達したいのかを判断・選択できるような形にすべきだと思います。

とにかく、教育行政には理屈で攻めるなら責任をもって最後まで理屈で攻めきってほしいと思います。

 

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