アベノミクスでの株高の意味
2020年11月22日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
前回は、野口悠紀雄教授の「経験なき経済危機」に関する第三回目として「アベノミクスの正体」について考えました。
その中で、アベノミクスが第三の矢である「成長戦略」が達成できなかったことをもってその本来の目的が達成されたとはとても言えないという指摘をしました。
にもかかわらず、アベノミクスは一般的にそれまでの政権による政策と比べると比較的「成功」したという評価が与えられることが多いです。
その大きな理由の一つに「高い株価」があります。
第四回目、最終回の今回は、アベノミクスによって成長戦略がうまくいかなかったのに高株価が達成された理由について考えてみたいと思います。
早速ですが、本書より以下にその部分を引用します。
「アベノミクスの成果として企業利益が増加し、株価が上昇したことがしばしば指摘される。しかし、こうなったのは生産性が高まったためではない。また、新しいビジネスモデルが開発されたからでもない。利益が増加したのは、売上高が若干増加する中で、原価の増加率がそれを下回ったからだ。中でも人件費の増加率が低かった。人件費の伸びを抑えられたのは、非正規就業者が増えて賃金が下落したからだ。生産性をあげるのでなく、非正規の低賃金労働に頼る構造は労働市場の不安定化をもたらした。結局のところアベノミクスとは生産性を向上させることなく、非正規の賃金労働に依存して企業利益を増やし、株価を上げたことだった。そして負の遺産として低生産性が放置され、労働市場が不安定化した。」
しかも、この株高による日本経済に対するインパクトというのも冷静に見る必要があります。
というのも野口教授が言うように、この株高は「生産性が高まったためではないし、新しいビジネスモデルが開発されたからでもない」わけで、上場企業が労働市場の不安定化を利用して売上とコストの差に過ぎない「利益」の部分だけを見て、株式市場はそれを評価してきました。
ですが、その株価の上昇によってメリットを受ける人たち、すなわち投資家の数(と得られた個別利益の掛け算による合計利益額)と労働市場の不安定化によってデメリットを受けた労働者の数(とそれによって影響を受けた日本全体の消費のこと)のボリュームの違いを考えるべきだと思います。
野口教授の最後の文章をもっと直接的に(意地悪く)言い換えると、
「私たち日本人は、局所的な現象に過ぎない株高によって、低生産性が放置され、労働市場が不安定化したという事実から目を逸らされて、本来やるべき本質的で難しい仕事が完全に先送りされてしまい、その問題がより深刻化してしまった。」
ということになるのではないかと思えてきました。