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「経営計画」に対する違和感

2021年10月28日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

前回ご紹介した「失敗の科学」には、私が中小企業の経営者としてずっと疑問に思っていたことについての回答へのヒントが書かれていました。

その疑問とは、なぜ世の多くの企業が経営計画、特に「中期経営計画」などというものを立てるのかということです。

私の会社では中期だろうが当期だろうが「経営計画」というものを一切立てたことがありませんし、その必要性を感じたことも一度もありません。

しかし、本書を読むまでは自分のその感覚が正しいと言い切れる自信がありませんでしたので、そのことを公言することはありませんでした。

今回初めてこのことを白状したことになるのですが、なぜ私がそのように感じてきたのかを代弁してくれているかのような説明がありましたので、以下に引用したいと思います。

「進歩や革新は頭の中だけで美しく組み立てられた計画から生まれるものではない。生物の進化もそうだ。進化にそもそも計画などない。進化は自然淘汰、つまり『選択の繰り返し』によっておこる。適応力の強い個体が生き残って子孫を残すと、その中から突然変異によってさらに強みを得た個体が生まれ、その後世代を重ねて進化が進む。計画経済では企業の淘汰がほぼない。各企業は中央政府から補助金を受け、倒産の危険から守られている。もし国が財源不足になれば紙幣を発行して崩壊を回避する。つまり『誰も失敗しない』ということは『誰でも成功する』ということだ。しかし、計画経済がうまくいかなかった要因はそこにある。進化の機会を失ったのだ。頭で考えたアイデアがどれほど秀逸でも、成功のためには実際の思考錯誤が欠かせない。」

私が感じていたのは、経営計画を立てるということは、経営者の頭の範囲で考えた計画を世の中の状況が刻一刻変化する中でその変化とは無関係に実現させようということに近いのではないかというものでした。

共産主義の計画経済とまでは言わないまでも、「世の中は単純だ」という前提に立って企業を動かしていくような「後講釈」ならぬ「前講釈」といったある種の傲慢さのように感じられていたような気がします。

だからこそ、少なくとも関わる人間の数が限定されている中小企業の経営に必要なのは、自社をどうしたいのかという「ビジョン」を掲げ、その時その時の状況に最も合った対応を迅速にとることに集中することではないのかと思うのです。

私が感じていた「経営計画」に対する違和感をこのように言語化できたのは、明らかに本書のこの指摘のおかげです。

特に現代のビジネス社会は、未だかつてなく未来の予測が難しい VUCA(Volatility・Uncertainty・Complexity・Ambiguity)なものであるわけで、その中で当期経営計画ならまだしも、中期経営計画を立てることにはなおさら意味を見出すことが難しくなる気がします。

 

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